消えゆく職業と仕事。

【メガバンクのIT化、大幅な人員削減時代へ突入】

先日、三菱UFJ銀行が店舗を集約していく旨の方針を発表しました。
2割程度の店舗を廃止して、余剰人員は配置転換していくようです。これにより約1万人程度の人員が削減されるとされています。この判断の裏側には、もちろん銀行の収益性低下に対する危機感があります。

マイナス金利という情勢下では預金がいくら集まっても運用先がない現状、下手をすると逆ザヤになりかねないからです。

大手企業の社債は、年利0.05%程度のものでも高利回りと言われるぐらい利率が付かないのです。
(当然、短期債か長期債で利回りは違いますが)

資本主義社会が成熟を通り越すと、経済成長が止まり資金需要がなくなるという事なのでしょう。

三菱UFJ銀行の決断は、収益性を確保するためにAI(人口知能)を使い、IT化を一層進めることにより、仕事の効率化を図り余剰人員を削減してコストを低下させていく事で生き残りを図っていくことにあります。

AIを導入することで、ルーティンワーク等は人海戦術に頼らなくても処理可能になりつつあるというのが、決断を下せた理由の一つなのでしょう。

三菱UFJ銀行だけでなく、同じメガバンクのみずほ銀行も、店舗の統合やIT化による業務の見直しなどを進めることにより、大幅な人員削減が予定されています。

【将来、労働人口の約半分はAIに置き換わる?】

野村総合研究所が2015年に発表したオックスフォード大学との共同研究では、10年から20年後の日本の総労働人口の約50%の仕事は、人工知能やロボットに置き換わることが可能と予測しました。今、まさにこのことが、急速に進んでいるのではないかと感じます。

実際、あるメガバンクの関連会社に勤務していた私の友人は、人員削減にともなって、一般事務系での派遣の契約更新が打ち切られました。新しい職を探そうにも、女性の場合は年齢によって一般事務での派遣契約は難しくなるのを年々感じるそうです。彼女は、たまたまプログラミングの知識があったので、別の派遣社員という形でプログラミングの仕事を得ましたが、それがなければ露頭に迷うところだったと話していました。

今後の社会では、プログラマーという職業につかなくても、幅広い職種でプログラミング的素養や基礎的な知識は必要になってくるのではないでしょうか。

先日も米国の投資銀行ゴールッドマンサックスは、AIが運用を担当する投資信託を日本国内でローンチしました。

もともと投資銀行ではロケット物理学者や数学者が運用プログラムを独自に制作し資産運用の世界で成功を収めてきました。

ゴールドマンサックスが最強の投資銀行といわれるようになった理由の一つは昔から積極的に理系科学者を登用して、リサーチ部門のみならずリスク計量モデルを開発する事で収益性の拡大を果たすことが出来たからです。

今から20年程前になりますが、私が、理系の大学院生だったころは、外資系の投資銀行が積極的に採用活動を行っていました。

国内企業に比べて、外資の投資銀行は破格の待遇でした。大半が企業や公的機関などの研究職に進む中、投資銀行に就職するというのはわりに珍しかったのですが、今になれば、外資が積極的に理系学生を採用していた理由がわかります。

今では、日系の証券会社もAIが運用するファンドを負けじと設定してきています。

どのプログラムが優れているのか、という競争で更にAIが進化してくのでしょう。

今後、金融業界が求める人材にもプログラミングの知識が必須の時代が到来しそうですし、他の業界もその流れの中から無縁とはなりえないでしょう。

ただし、いくらIT化、ロボット化が進んでも、完全に置き換わることもありえません。

高度な知識やスキルが求められる仕事や、創造性や協調性が必要な業務などは、人工知能での代替が難しく、これまで通り人が担うと予測されます。

これからの未来を担う子ども達には、プログラミング素養はもちろん、その学びを通して、人にしか担えない能力、それは、思考力や問題解決力であったり、表現力やコミュニケーション能力、また想像力や創造力であったりするのですが、そういった力を小さいころから身につけていって欲しい、思います。

未来の働き方を考える。

「将来、小学生の65%が今はない職業につく」

これは、今から数年前、アメリカのデューク大学の教授キャシー・デビッドソン氏がニューヨークタイムズのインタビューで語った言葉です。「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今存在していない職業につくだろう」という話は、当時、大きな話題になったので、知ってる人も思いますが、この当時から、社会の情報化はさらに加速度的に変化し、時代はますます予測がつかなくなっています。

自分の子ども時代を思い返してみれば、その頃にはなかったモノやサービスを当たり前のように享受している今の生活を思えば、この話は、あながち現実になるかもしれません。30年程前の夏休み、小学生だった私は戦前に製造された鋼鉄製の扇風機しかついていない古い電車に乗り蒸し焼きのような暑さに耐えながら、硬券の切符を駅員さんに渡し、隙間風が入る断熱材等が入っていない木造の、バランス釜の風呂で五右衛門風呂並みに熱くなり火傷に気を付けながら入る、冷暖房は冬場の石油ストーブのみという祖父母宅に通っていたものです。
今から考えると、このような生活は当時ごく普通でした。

この場所、実は東京都の多摩地区ですが、今でも新宿駅から電車で30分位なので宅地需要も旺盛で、2040年でも人口が減らない場所と推定されております。

日本の最盛期と今でも語られているバブル期であってもなお、庶民の生活は戦後の延長上であったと改めて感じるのです。

しかし、ネットやAIが進展する事で物理的な面もそれ以外も変化が起きてきています。オートロック付きのマンションで庭仕事も必要では無く、エアコンで常時快適な室温に保ちつつ、ネットスーパー等で必要なモノは宅配してもらい、PCやスマホで銀行振り込みや記帳も行える・・・。
資産運用では、AIが運用する投資信託まで登場しています。個別銘柄の売買や銘柄選定まで人工知能が全て学習しながら行うのです。
相場師が胆力で勝負するという時代は、おとぎ話のような世相になってしまいました。

バブル期より格段に上質な生活を手に入れてしまった現代人。
この生活の進歩は嫌でも今後ますます進みます。
その時に必要とされる仕事上のスキルは、今の我々の想像を超えたレベルなのかもしれません。時代によって暮らしはかわり、仕事のありようもかわります。+

今から30年後、どうなっているのかを考えると、国語算数理科社会以外の勉強も子供たちが果敢に取り組み、知見を広げていく事で変化に対応できるような柔らかいアタマを作る大切さを考えている最近です。

ロボ団泉大津校スタッフ 堀田